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2017年3月1日よりミューズレディスクリニック院長に就任した小島俊行と申します。
産婦人科医となり42年目となります。2016年8月末までは、三井記念病院産婦人科部長として12年間勤務しておりました。専門は感染症(特に母子感染・性感染症など)、婦人科手術(悪性腫瘍、筋腫核出術、腹腔鏡下手術)、美容外科的皮膚縫合などです。母子感染(トキソプラズマ、風疹、サイトメガロウイルスなど)に関しては、全国から前施設に妊婦さんがお出でになり、カウンセリングを含め、すべて自分でトキソプラズマ感染時期の診断検査などを行い判定致しております。また、子宮内膜細胞診検査の痛みを最小限とする工夫をこれまで30年間研究してきました。さらに大学病院などで子宮全摘出手術を勧められた未婚の患者さんなどに、私のセカンドオピニオンとして、手術適応なしで経過観察しましょうとか、筋腫核出術をしましょうなどとお勧めしてきました。従って、私が手術する患者さんは、筋腫だけで13.5kg(赤ちゃん4人分の重さ)を取ったとか、100個以上の筋腫を核出し子宮は残したなど、一般的ではない手術を主に引き受けてきました。他の病院で手術を勧められて納得されれば手術をお受けいただき、そうでなければご相談にお出で下さい。誰のための手術なのかを含め、長所・短所一般的な選択基準などをご説明します。
当院では、手術が必要な患者さんには、ご希望の病院を紹介致しております。必要なければ、経過を観察してゆきます。お気軽にお越し下さい。
院長 小島俊行
10年ほど前、浸潤した子宮頸がんと診断された30代前半の患者さんが私を訪ねていらっしゃいました。私が診察・診断・説明を行ったところ、患者さんは病院を出た時には街の景色がそれまでとは違って明るくなっていたと非常に喜んでいらっしゃいました。医学的に正確に説明でき、思いやりがあれば誰でもできる簡単なことです。 直ちに患者さんは私の手術を希望され、広汎性子宮全摘術を頑張ってお受けになり、10年経過していますが今も元気に通院されています。 また40歳を過ぎた未婚の女性が大きな子宮筋腫があり大学病院などを何ヶ所も回りましたが全て子宮を取ることを勧められました。納得されなかった患者さんは私を訪れ、ご説明し、最終的には13.6kg(赤ちゃん4人分の重さ)の子宮筋腫を核出し、ご希望通り子宮を温存することができました。未婚の女性が子宮を温存することは生きる糧の場合もあります。皆様は多様性があり色々な個性があります。医学的に妥当な範囲内で、ご希望に沿った診療を行うことが大切と考えます。
昭和45年 | 都立戸山高校卒業 |
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昭和53年 | 東京大学医学部卒業 |
昭和53年6月 | 東京大学医学部産科婦人科学教室研修開始。日立市日立総合病院、国立霞ヶ浦病院勤務 |
昭和60年5月 | 埼玉医科大学総合医療センター産婦人科講師 |
平成2年7月 | 焼津市立総合病院産婦人科科長 |
平成5年9月 | 東大医学部附属病院分院産科婦人科講師 |
平成7年9月 ~8年9月 |
米国スタンフォード大学免疫・感染症科留学。トキソプラズマの母子感染の基礎研究を行う |
平成13年4月 | 東大医学部産科婦人科講師 |
平成16年9月 | 三井記念病院産婦人科部長 |
平成28年4月 | 東大医学部産科婦人科登録研究員兼任 |
平成28年9月 | 医療法人 青山会 吉田産科婦人科医院勤務 |
平成29年5月 | 医療法人 青山会 ミューズレディスクリニック 院長 |
日本小児感染症学会
詳細はメディア・論文ページにて、ご覧ください。
吉田智子医師
さくらレディスクリニック 院長
昭和57年3月 | 東京大学医学部医学科 卒業 |
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昭和57年6月 | 東京大学産科婦人科教室 入局 |
平成2年7月 | 東京都立築地産院産婦人科 勤務 |
平成4年1月 | 医療法人青山会 吉田産科婦人科医院 勤務 |
平成16年5月 | 医療法人青山会 さくらレディスクリニック 開院 |
吉田孝二医師
吉田婦人科クリニック 理事長
1979年 | 埼玉医科大学 卒業 |
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1980年 | 東京大学医学部産婦人科学教室で研修 |
1983年 | 山梨医科大学(現山梨大学医学部)産婦人科学教室助手として勤務 |
1983年 | マイクロサージャリーによる卵管形成手術を専門として不妊症治療に従事 |
1983年 | 虎の門病院産婦人科で体外受精について研修 |
1989年 | 社会保険山梨病院部長として産婦人科臨床に従事 |
1990年 | 山梨県で初の体外受精に成功。その後不妊治療を中心に診療 |
1994年 | 吉田婦人クリニックを開院し不妊治療を専門に行っている |
五味淵秀人医師
1980年 | 順天堂大学医学部卒業 |
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同年 | 東京大学産婦人科入局 |
1989年 | 帝京大学医学部講師(市原病院) |
1995年 | 国立国際医療センター産婦人科 |
2002年 | 同・医長 |
2013~2018年 | 河北総合病院産婦人科部長 |